僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編

僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編

last updateLast Updated : 2026-01-29
By:  いふや坂えみしCompleted
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
Not enough ratings
49Chapters
857views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

大学一年生の渡辺浩二は流されるままに演劇研究会に入部する。 人生の中で演劇に関わるなんて考えたこともなかった。 けれど一ヶ月後の公演を控えた演劇研究会での活動に徐々にのめり込んでいく。 自分の変化に戸惑いつつ、大学での日々は過ぎていく。

View More

Chapter 1

登場人物

インターンが職場改革と称して私を標的にした。

愛していると言ってくれた恋人の社長は、私のためだと言いながら、私を副社長の座から追い落とし、逆に彼女を副社長に引き上げた。

彼はインターンに高級車を買い与え、別荘を貸した。

それもすべて「計画」の一環だから耐えてほしいと言う。

妹が心臓発作を起こしたとき、私は彼に給料の前払いを頼み、手術費に充てたいと願った。彼はあっさり承諾した。

だが手術当日、私は朝から夜まで病院で待ち続け、振り込みは来なかった。

代わりに届いたのは、インターンがSNSに投稿した嘲笑だった。

【うちの社長って優しすぎて搾取されがちなの。社員が前借りとか言って、返さなかったらどうするの?だから私、却下してあげた♡

追伸:お金欲しいなら、もう少しマシな理由考えなよ】

妹は治療の甲斐もなく亡くなった。

その後になって、社長はようやく電話をかけてきて私をなだめる。

「そんなに怒るな。明燈(はるひ)の手術、あと2日延ばせないか?俺もずっと我慢してるんだ、彩羽を思いきり叩き落とすために。

安心して、もうすぐあいつの誕生日だ。その日に恥をかかせて全部失わせる。それが終わったら俺たちで豪華な結婚式を挙げて、明燈も喜ばせよう」

でも私はもう分かっていた。

その理由は、ただのえこひいきの言い訳だと。

もう、彼はいらない。

――

「え?本当に、一緒に来てくれるんですか?よかった、では2日後に出発しましょう!」

電話の向こうで、海外大手企業の人事が興奮気味に言った。

彼らは7年も私を待ち続け、わざわざ国内に支社まで作って、私を引き抜こうとしていた。

「......ありがとうございます」

霊安室は、反響が聞こえるほど静まり返っていた。

まだ10歳だった妹・明燈の青白い顔を最後に見つめ、死亡診断書を受け取り、医師のもとへ向かう。

火葬には事前に4万円の支払いが必要だと言われた。

明燈が危篤になってから、長年の貯金は底をついた。

この数年、私は恋人の済木楓人(さいき ふうと)だけを中心に生きてきて、友人もいない。

彼に副社長の座から降ろされてからは、同僚たちとも疎遠になった。

今の私は、金を貸してくれる人すらいない。

無意識に右手首のブレスレットを見る。

楓人が昔くれた、いわば愛の証だった。

三ヶ月分の給料をつぎ込み、「君にはそれほどの価値がある」と言ってくれたものだ。

本当は今日、フリマサイトで売るつもりだった。

だが査定額は6万円。

60万円の手術費には到底足りない。

焼け石に水で、結局出品できずにいた。

けれど――運命が、これを手放せと言っているのかもしれない。

4万円という安値で出すと、すぐに買い手から連絡が来た。

急いで取引に向かおうと外へ出たところで、黒服のボディーガードにぶつかり、地面に倒される。

スマホも落ちて、画面にひびが入った。

顔を上げると、楓人が車椅子の細木彩羽(ほそぎ いろは)を押して、慌ただしく病院に入ってくるのが見えた。医療スタッフやボディーガードが大勢付き従っている。

彼はひどく焦った顔で、額には細かい汗が浮かんでいた。

ふと私と目が合ったが、すぐに視線を逸らす。

看護師に起こされながら、彼女はため息混じりに言った。

「同じ人間でも運命は違うのね。彼女、ただ足をひねっただけで病院中の医師を集めて診察させるのに、心臓病の子は手術費すら集まらないなんて......」

私は首を振り、ブレスレットを握って無事だと示した。

その瞬間、楓人が大股で戻ってきて、険しい表情で私の腕を掴んだ。

そのまま地下駐車場へ連れて行かれた。

車に乗り込み、周囲に誰もいないのを確認すると、彼は眉をひそめる。

「金のためにまさかここまで来るとは」

言い過ぎたと気づいたのか、すぐに表情を緩めた。

「彩羽が階段で足をくじいて。あいつ、やたら大げさで、俺がいないと検査が受けないって。まだ前借りの件で怒ってるんだろ?金はやるから、早く行け。彩羽に見られたら誤解してしまう」

彼は気づいていない。

口では「大げさだ」と言いながら、その目には隠しきれない甘さがあることを。

昔、彼が気にかけていたのは私だった。

私が胃痛を訴えただけで、一日中病室のそばに座り込み、粥を自分で作って、手に水ぶくれを作るほどだったのに。

楓人はスマホを取り出す。

次の瞬間、私のスマホが鳴った。

振り込み――4000円。

彼は笑って言い訳する。

「俺がこっそり大金渡したら彩羽の機嫌は悪くなる。これで明燈に栄養のあるものでも買ってやれ。子どもなんて、大したことないって。うまいもん食わせば良くなる」

私はスマホを強く握りしめた。

私たちの方が恋人同士のはずなのに、隠れて金を渡すなんて。

しばらくして、自嘲気味に笑い、その4000円をそのまま送り返した。

静まり返った地下駐車場に、送金通知の音がやけに響く。

彼は車を降りかけていた動きを止め、ようやく異変に気づいたのか、振り返って私の手を軽く叩いた。

「星良、つらいのは分かってる。でも彩羽を潰すには、一度全部手に入れさせないといけないんだ。そしたら失ったときにこそ本当に痛む。そのときが来たら、君の恨みも晴れるだろ?」

でも、すべてを失って痛みの底にいるのは――どう考えても私だった。

去年、彩羽が入社してきて、「職場を改革する」と豪語し、なぜか副社長の私を標的にした。

書類の印刷を頼めば「雑用しに来たんじゃない」と拒否され、コーヒーを頼めば割って入ってきて顔にぶちまけ、「自分のことは自分でやれ」と言われた。

数十億規模の契約をまとめる直前に、社判を渡さず、私が資産を横領していると疑った。でもその間に顧客が奪われ、一ヶ月の努力が水の泡になった。

その話を少ししただけで、楓人は「仕返ししてやる」と言い、計画を立てた。

人を滅ぼすには、まず増長させる――そういう理屈だ。

最初の頃、彼が皮肉交じりに彩羽を褒めるたび、私にだけ分かるようにウインクしてきた。

私もつい笑って、傷ついたふりをして芝居に付き合い、彩羽をいい気にさせた。

けれどその芝居は、次第に現実になっていった。

彼の彼女への称賛は、本心からのものになり、私への無関心と適当な態度は、演技とは思えなくなった。

一年前、私は副社長の座を失った。

一週間前、妹は「未来の義兄が他人に家を買い与えた」と知って怒り、心臓発作を起こした。

成功率百パーセントの手術だったのに、無能な姉である私が費用を用意できず、命を落とした。

そして今、目の前の恋人も、いつの間にか心が離れていた。

胸の中が荒れ果てる。

「楓人、私たちは――」

別れよう、その言葉を口にする前に。

彼のスマホが鳴った。

表示は「愛しい彩羽」。

彼は車を降り、私から離れて通話を取る。

昔はそんなことしなかった。

むしろ誤解されないようにスピーカーにしていたのに。

通話が終わると、彼女の自意識過剰ぶりを笑い、私だけを愛すると誓っていた。

でも今は違う。

車のドアにもたれ、服の裾を指でいじりながら、甘い表情を浮かべている。

やがて驚いたように声を上げた。

「足、まだ怪我してるんだろ?来なくていいって!」

次の瞬間、地下駐車場の入口から、足を引きずる細い影が近づいてくるのが見えた。

楓人は慌てて駆け寄り、彩羽を支える。

彼女は私を一目見るなり、残酷なほど得意げに笑った。

数歩で距離を詰め、私を助手席から引きずり下ろす。

「衛藤星良(えとう せいら)、誰が楓人の車に乗っていいって言ったの?本革シート汚したら弁償できるの?まさかまた金でも借りる気?元カレにたかるなんて、恥ずかしくないの?」

所有権を誇示するように、彼女は慣れた手つきで楓人のポケットからスマホを取り出し、ロックを解除する。

送金履歴を見た瞬間、スマホを地面に叩きつけた。

「楓人!私はあなたのことを考えてるのに、まだ昔の女が忘れられないの?もう病院なんて行かない、いっそ足なんか折れたままでいいよ!」

彼女は怒って立ち去る。

会社では冷酷な楓人が、彼女の前では言い返すこともできず、追いかけようとする。

だが何かを思い出したように足を止め、振り返って私の手をそっと握り、揺らしながら真剣な声で言った。

「星良、あと2日だ。もう少しだけ我慢してくれ。その後は、ちゃんと埋め合わせるから」

昔、彼はよくこうやって私をなだめた。

まっすぐな目で見つめられると、どうしても心が緩んでしまった。

あの頃は、それが愛しくてたまらなかった。

でも今は――ただ気持ち悪いだけだ。

「ああ、それと明燈も。今度、最高の病院に移してやるよ。ディズニーにも連れて行こう。あの子、あそこ好きだろ?」

彼は付け足す。

明燈の話をすれば、私の気持ちが落ち着くと思っているらしい。

でも彼は知らない。

明燈はもう死んだ。

私が百回電話をかけ続けていたときに、彼が彩羽の捻挫に大騒ぎしていたその時に。

私が手を振りほどくより先に、彼は彩羽を追って走り去った。

私はその場に立ち尽くし、服の裾で手の甲を拭った。

済木楓人。

2日後は――私が去る日だ。

もう、こんな関係はいらない。

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
49 Chapters
第一章 入学 第一話
 二月下旬。まだ道路の雪はしぶとく残っている。毎年のことだが、来月にならなければ溶け始めないだろう。父親の車に乗せられて移動すること一時間弱。ようやく目的の建物が見えてきた。一ヶ月ほど前に見た、大学名とともに星型の意匠のついた五階建ての校舎を仰ぎ見る。僕は早く目的地についてほしいという気持ちと、結果を知りたくないという気持ちで板挟みになっている。今日は第一志望の聖北学院大学の合格発表日だ。  車は大学の駐車場に入る。「浩ちゃん、着いたぞ」 エンジンを切った父に声をかけられる。どくん、と心臓が高鳴る。すでに結果は出ている。緊張したところで結果は変わらないが、確認するまではどうしようもない。もし予備校に通っていれば、もっと自信があったのかもしれない。けれど経済的な理由から国公立大学に通ってほしい、という両親の思いに反して私立大学を第一志望にしている後ろめたさから、自力で受験勉強をすることを決めていた。受験の手応えも、高校受験の時のような確信はなかった。 白地に墨で書かれた「合格発表はこちら」という立て看板に従って父と並んで歩く。今日は晴れていて、足元の根雪の表面は太陽の熱に溶かされ少し滑りやすくなっている。滑ったら不吉だとか、合否になんの関係もないことなんて気にしたくないのに気になって過ごしていた生活はこれで終わるのか。一番上の兄は一浪して大学に入った。僕は大丈夫だろうか。 国公立大学の試験は落ちたが、他の私立大学には合格している。けれどすでに合格した私立に通いたくはない。国公立大学も、合格したら通わされてしまう。だから聖北学院大学の受験に不要な科目意外の勉強はしていない。国公立大学の受験に必要な科目の勉強を途中からやめたので、落ちるべくして落ちた。 勉強時間は他の受験生に比べて引けを取らないだろうが、効率の面ではどうだろう。必要ないものは削ぎ落としたのだが。 そんなことを考えながら歩いていると、合格発表の掲示板の前にたどり着いた。周りにはたくさんの受験生がいて喜んだり悲しんだりしている。コートの内ポケットから受験票を取り出して、すでに記憶している受験番号をもう一度確認する。掲示板の受験番号を探すと、自分の番号を見つけた。良かった。ずっと心にのしかかっていた重圧からこれで解放される。「あった。お父さん、あったよ」 「そうか、良かったな。おめ
Read more
第二話
 携帯電話はだいぶ世の中に普及してきてはいるが、自分で働いたお金で使用料を払うよう言われているので、僕はまだ携帯電話を持ったことがない。だから、大学構内の公衆電話へ向かう。公衆電話はそこまで混み合っていなかった。携帯電話を持っていない僕は、世の中から取り残されている方なのだろう。少しだけ並んで公衆電話ボックスの中へ入る。テレホンカードを取り出し、自宅へ電話をかける。公衆電話の表示窓に残り度数が表示される。会話時間を気にする必要はなさそうだ。電話がつながる。「もしもし」 「もしもし、浩ちゃん?」 「うん。あー……受かってたよ」 「そっかい。おめでとう」 「うん、ありがとう。これから帰るね」 「うん、気をつけてね」 通話を終え、父と合流する。ああ、これでもう受験勉強しなくていいのか。解放感に包まれながら父の車に乗り、帰路についた。緊張していたせいか、体の力が抜けている。高鳴っていた心臓もいつのまにか落ち着いていた。  それから大学の入学式まで一ヶ月ほど。いままで我慢していた読書を再開した。一日に二冊か三冊、小説を読み漁った。 高校三年の三学期の授業はあってないようなものだった。目立たないように気をつけて過ごしてきた高校の卒業式にも特に思い入れはない。読書の合間に大学の入学準備をすませ、つかの間の休息を過ごした。 四月。大学の入学式が行われた。ノストラダムスの大予言によれば、来年は恐怖の大魔王が襲ってきて世界は滅亡するらしい。ばかばかしい。ただ、恐怖の大魔王なんてものが本当にいるのなら、寿命を迎える直前にでも見てみたいものだ。 入学式の次の日、オリエンテーションが行われ、履修登録について説明された。履修登録というのは、その年に受ける大学の授業を決めて時間割を作ることだ。 僕は夏休みの宿題を最初の一週間で終わらせるタイプだ。学習したことを忘れた頃に宿題をするのは効率が悪いからだ。卒業に必要な単位もできるだけ早く取り切ろうと思う。卒業が近づけば就職活動や卒論に時間を費やすことになるので、その時のためにいまできるだけのことをしておいた方がいいだろう。 単位というのは、大学を卒業するために必要なものだ。授業を選択し、授業をしている講師や教授が各生徒の成績を評価し、基準以上ならその授業に割り当てられた単位数を獲得することができる。必修科目と選択科目があり
Read more
第三話
 大学の中庭ではサークルの勧誘が行われている。派手な格好をして派手な看板を掲げている上級生をスルーして通り抜ける。僕はいつもつまらなそうな顔をして気配を消して歩いているので、こういうときは便利だ。それにしても、大学は広い。北大ほどではないが一号館から六号館までの建物と二つある研究棟に大学生協が入っている学生会館、サークル棟。中学から高校に上がったときに各学年のクラス数が二倍になって大きいと感じたが、大学の広さはその比ではなかった。 履修登録期間は一週間とのことだった。いずれ履修登録を済ませたら教科書や参考書を買わなければならない。大学生協の隣に専用のスペースが用意されているらしいので、さっそく行ってみる。いまはまだ履修登録期間が始まったばかりで、学生はまばらだ。適当に教科書を手に取って値段を見ると、どれもそれなりにいい値段をしている。私立大学の授業料の他にも教科書代までかかるので、両親には負担をかけてしまう。 大学生協の上の階は学食だった。もうすぐ午後二時なので、それなりに空いている。竜田丼三五〇円。普通のレストランなどに比べればだいぶ安い値段だ。食券を買ってカウンターに出す。空いているからかほぼ待ち時間なく料理が出てくる。値段の割に量が多い。適当にあいている席に座って昼食をとった。 食べながら見るともなく食堂の中を見渡すと、一人で食事をしている学生もぽつぽつ見かける。高校までと違って自分の教室がない、というのはなんだか自由だと感じる。ここにいるようにと強制されていないのがいい。大学ではわざわざ目立たないように気をつけなくても、人目につくことはなさそうだ。見られているかもしれない、という息苦しさを感じない。どうやら僕には大学生活が向いているようだった。  僕は聖北学院大学福祉学部心理学科を受験して合格した。心理学を学びたくてここを選んだ。福祉には特に興味がない。 僕は自分のことが嫌いだ。自分の主張を強くできないことや周りに流されてやりたくないことをしてしまうことや傍観してしまうことがその理由だ。主体性がない。僕は自分の行動を自分のコントロール下に置けるようになりたい。もちろん全ての行動は僕の選択の結果なのだけれど、後悔が多い。自分の望みがなんなのかわかっていないし、自分で自分の望みを聞いてあげてもいない。そんな気がする。
Read more
第四話
 次の日。福祉学部心理学科の学科長、沖教授の授業を受けた。授業と言っても、履修登録を済ませた学生はいないので、オリエンテーションのようなものだ。 関西弁で話し始めたので関西人らしい。授業というよりずっと漫談を聞いているような気分で、二百人くらい座れる講堂は沖教授の授業中、何度も笑いが起きていた。僕もすっかりリラックスして過ごした。「ねえ、名前なんていうの?」 授業が終わり、隣に座っていた男子学生が声をかけてきた。心理学科の学生は六十人くらいだが、男子は十数人しかいなかった。なんとなく肩身が狭かったのだろう、男子学生は固まって座っていた。「あ、えーと。俺は渡辺浩二。よろしく」 僕の一人称は内面と実家では「僕」だが、外では「俺」だ。中学生の頃から使い分けている。その方が目立たないからだ。「俺は松本|雅人《まさひと》。あのさ、サークルどこ入るかもう決めた?」 松本は優しい感じで顔が整っていた。「いや、そもそもサークルに入るかどうかもまだ決めてないよ」 「そうなんだ。じゃあさ、ちょっと見学いかない?」 「ああ、いいよ。どこ?」 履修登録をどうするか以外、とくにまだ授業もないので暇だった。僕は人付き合いがとても苦手なので、同じ学科に友人ができるのもありがたかった。「これなんだけどさ」 松本は一枚のA4用紙を取り出す。『聖北学院大学演劇研究会新入団員募集中!!』そのチラシにはそう書かれている。「演劇!?」 思わず大声が出てしまった。人前に出るなんてとんでもない。僕は可能な限り目立たないようにしていたかった。「そうそう。俺、高校で演劇部に入っててさ。大学でもやろうと思ってるんだよね」 松本は話を進める。「え、いや……演劇かぁ」 すごい逃げたかった。そんな僕の気持ちを察したのだろう。松本が言い添える。「演劇って言ってもほら、照明とか音響とか裏方もいるからね。役者だけじゃないよ」 たしかに。そうか、裏方ならまあ、大丈夫か。「うん、わかった。えーと、何時?……六時か」 僕はA4のチラシを覗き込む。場所はサークル棟の多目的ホールというところらしい。数時間あるので、図書館で時間をつぶそうと考えた。「それじゃ、またあとで」
Read more
第五話
 僕は松本と別れると、家に電話をして帰りが遅くなると連絡した。図書館に向かう途中、演劇サークルのチラシがないか学内の掲示板を見て回る。都合よく見つからなかったので、サークル棟へ向かう。サークル棟は大学構内の端にあり、本館に比べれば小さな三階建ての建物だった。舗装されていない砂利道で、明らかにお金がかけられていない様子だ。 中へ入ると、廊下で学生が野球をしていたりして、治安が良くない方の高校っぽいなと感じた。サークル棟の中をぶらぶら歩いていると、二階の真ん中あたりに演劇研究会と書かれた札を発見する。その横には手作りの箱が部室の壁に画鋲で止められ、中にはチラシがたくさん入っていた。さっき松本に見せられたものだ。僕は一枚チラシを抜く。目的を達したので図書館へ向かう。それにしても、大学は広い。大きめのショッピングモールが二つか三つ入りそうな広さなので、足が疲れてきた。北海道の大学は土地が余っているから無駄に大きいのだろうか。 図書館で適当に本を選び、椅子に座る。まだ約束の時間まで一時間以上ある。演劇。演劇かぁ。絶対に僕が進んで選ばない選択肢だな。まあとりあえず、まだ入ると決まったわけではないし、見学だけしてみるけど。気が進まないなあ。 五時五十分。サークル棟の三階、多目的ホールの前に僕はいる。松本はいない。もう中にいるのだろうか。誰か来るまで待とうか?知らない人の集団に放り込まれるのは苦手だ。自分が場違いな場所にいる、という感覚を突きつけられる。「あ、見学の人?もう開いてるから入って」 振り向くと、一八〇センチくらいの背の高い先輩がいた。ガチャリ、と重そうなドアを開ける。後について入ると、中には十数人の知らない人たちがいた。小さな体育館、という感じの部屋だった。ワックスがかけられた板張りの床、高い天井、音楽室のような無数の穴の空いた防音壁。ジャージを着ているのは先輩たちだろうか。私服を着て隅に固まっているのは新入生のようだ。松本は、ジャージを着て先輩と話している。溶け込むのが早いな。「渡辺ー。来てくれてありがとう!」 笑顔で両手を振ってくる。仕草がオーバーだな。演劇をしているとそうなるのだろうか。「あはは……。約束だし。つーか、初日で溶け込みすぎじゃない?」 「いや違う違う、俺入学前から入部してたんだよ。入学するまで暇だったし、演劇やるのは決めてたから
Read more
第六話
 まじか。見てるだけのつもりだったんだけどな。大勢でやるなら、まあ目立たないか。それから輪になって柔軟運動が始まった。先輩の説明を真似ながら柔軟運動をする。ジーパンだと少し動きにくい。柔軟運動が終わると、筋トレが始まった。腕立て・腹筋・背筋をやる。筋トレなんてするのはいつ以来だろう。高校では部活には入っていなかったので、体育の授業でやったような気がする。「はい、ストップモーションやります」 なんだろう。聞いたことのない言葉だ。「ストップモーションというのは、音楽に合わせて僕が手を叩いて、手を叩く音が聞こえるたびにポーズを変えて、動きのバリエーションを増やす練習です。よくわかんないかもしれませんが、やってるうちにわかってきますので、とりあえず始めます」 えぇ……。どうしよう。すごい苦手だ。鈴木部長はそう言ってCDラジカセの操作をする。音楽が鳴り始めるとリズムに合わせて手をたたき始めた。「はい、では用意……スタート!」 しょうがない。やるしかない。とりあえず適当にポーズを取る。様になっているわけではない。ヘンテコなポーズだ。周りの人は……床に座ったり片足で立ったり、不安定なポーズを取ったり、いろいろだった。やってるうちにリズムに乗って動けるようになったが、手の叩き方は二倍速になったり逆に遅くなったりするので、予測して動くのはよくないようだった。叩かれる手の音に神経を集中しなければならない。不安定なポーズを取ると体が止まらない。体を支える筋肉が足りていないのだろう。「終了ー!」 いつのまにか集中していた。汗をかいている。受験勉強で体がなまっていたので明日は筋肉痛になるかもしれない。小休憩の後もう一度ストップモーションが行われた。つづいて発声練習に移る。あえいうえおあおかけきくけこかこ、あいうえおいうえおあうえおあい、ぱぱぱぱぱぱぱぱ、ららららららら、など説明を受けながら大声を出す。ふだん大声を出したりしないので、少しだけ気分が上向いた。腹筋がなんだか熱い。
Read more
第七話
 休憩の後、稽古が始まった。来月本番を迎える公演では四年生の加藤先輩が脚本兼演出をしているそうだ。二ヶ月くらい前から来月の公演準備をしていたらしい。加藤先輩は多目的ホールの真ん中で舞台の方を向いて座る。舞台と言っても何も置かれていない。そう想定しているというだけのことだ。「それじゃ今日は、シーン五からやります」 加藤先輩がそう言うと、五人先輩が立ち上がって舞台へ移動する。「みんな準備いい?それじゃ用意……」 ぱん、と加藤先輩が手を叩くと、舞台上の先輩たちが演技を始める。手に台本は持っていない。すでに頭の中に入っているのだろう。同じシーンを何度も繰り返し、加藤先輩は気になるところがあると手を叩いて演技を止める。どういう感情で喋った?とか、過去を思い出しながらセリフを言ってとか調整しながら進んでいく。灰皿を投げたり怒鳴ったり、なんてことはなかった。 稽古中に音響も入る。ビートルズくらいは知っているが、オアシスとかU2などの洋楽を僕はほとんど聞いたことがなかった。だけどなんだかかっこいいな、と思った。 午後七時半ころ。稽古は九時半まで続くようだが、おなかも減ってきたし、だいたいサークルの雰囲気も掴めた気がしたので、帰ることにする。声を掛けるタイミングを見計らってもじもじし、ようやく断りを入れて帰路についた。当然だが、外はすっかり暗くなっている。高校では部活に入らず友人と遊び歩くなんてこともなかったので、暗くなってから出歩くのはずいぶん久しぶりな気がした。  夕食を終えて湯につかる。なんだかふだんと違う行動をとりすぎて、ふわふわしていた。  僕はふわふわした頭で演劇サークルへの入部をどうしようか考える。人前で演技をするなんてできそうもない。だけど裏方なら、やってみてもいいかもしれない。 中学生や高校生のとき、学校の課外授業で演劇を見たりミュージカルを見たりしたことがあった。周りの生徒たちはおとなしく見ていることもあれば騒がしくしていたこともある。個人で観ているのならつまらなければ出ていけばいいだけのことだけど、授業として強制されて観るのはよくないと感じた。観客も出演者も、どちらも不幸になるだけだ。僕は物語が好きなので観ていておもしろいな、と思ったけど周りはそうではなかった。だから騒がしくしている周りが邪魔だな、出てってくれないかなと思っていた。 そんな
Read more
第二章 入部 第八話
 演劇サークルには、結局入ることに決めた。家族には驚かれた。自分でも驚いているから、まあそんな反応になるだろう。「どうしたの、突然」 母にそう聞かれた。「いやまあ、誘われたし、裏方の仕事もあるし、嫌いではないから」と、答えになっているようななっていないような返事をした。なぜ入る決断をしたのか自分でもよくわかっていない。役者をする気はないけれど、演劇というのは人の内面を掘り下げるものだと思う。自分を制御したいという、僕が心理学を学ぶ理由に通じるものがあるような気がした。 サークル活動は、土日以外の午後六時から午後九時半までなので、家には遅く帰ることになる。食事の支度と後片付けをしている母には迷惑をかけてしまう。けれど話してみたら受け入れてもらえたので安心する。僕はあまり自分の望みを言ったことがなかったからだろうか。  一週間ほどで履修登録期間が終わった。わりとパンパンに授業を詰め込み、月曜から金曜の朝から夜まで授業を受けることになった。聖北学院大学の授業は一コマ(大学では一時間目、二時間目とは言わないらしい)九十分だ。長い。高校まで一時間は五十分だった。だいぶ長くなってしまったが、まあそのうち慣れるだろう。たぶん。 一コマ目は午前九時から十時半まで。二コマ目は十時四十分から十二時十分。昼休みが午後一時まで。三コマ目が午後二時半まで。四コマ目が二時四十分から午後四時十分。五コマ目が午後四時二十分から午後六時。長い。高校では六時間目が午後三時過ぎまでだったので、だいぶ授業時間が伸びた。とはいえ、一コマ目から五コマ目まで全てのコマに授業予定を入れているわけではないので、そこは絶対に授業予定がある高校とは違っていた。
Read more
第九話
 聖北学院大学はキリスト教系の大学だった。もちろん僕は一般的な日本人のように無宗教だ。強いて言えば、先祖のお墓や法事は仏教系なので仏教なのだろうか。お墓参りで南無阿弥陀仏くらいしか言ったことはないけど。仏教の中で分かれている宗派があるのだろうけど、まったくわからない。キリスト教だから選んだわけではなく、心理学に一番力を入れている札幌の大学がここだったので選んだだけだ。 キリスト教に全く興味がないかと言うとそうでもない。僕はアニメが好きでよくみているが、数年前にカルト的な大ヒットをしたアニメがキリスト教の影響を多分に受けていたので、どんな宗教なのか気になっていた。必修授業でキリスト教関連の科目があるので、人生で初めて聖書を買った。 松本とは同じ学科なのでかぶっている授業も多い。「キリスト教の世界」という授業が行われる教室へ行くと松本が座っているのが見えたので声をかけた。「おっす。隣いい?」 「おー渡辺。どうぞどうぞ」 僕は松本の隣に座ってかばんから聖書とルーズリーフとペンケースを取り出す。松本が一人で座っていてよかった。もしそうでなかったら声をかけられなかったかもしれない。僕は人付き合いがとても苦手だ。「演劇サークル入ることにしたよ」 「まじで!?ありがとう、超うれしい!」 松本はおおげさに喜んでくれた。僕も少し嬉しくなった。「いやいや、役者はちょっと俺やる自信ないけど、物語は好きだから演劇にも興味あったみたいだ」 「すげーありがたい。演劇やる男子少ないからさ。高校の時も、演劇やってる男子は俺一人だったし」 「え、そうなの?見学したときは先輩たちの男女比おなじくらいだったけど」 「それは俺も驚いた。なんだろうね。大学生になったら、恥ずかしさとかなくなるのかな」 「たしかに、俺のいた高校でも演劇部の男子いなかったな。つーか松本さあ、入学前から入部ってなんかこう、問題とかなかった?」 「いや全然?なんかサークル棟に管理人いるけど、なんにも言われなかったよ。先輩には部室の鍵借りる時は学生番号書かなきゃいけないから入学するまで管理人に声かけないように注意された」 「そうなんだ。肝す
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status